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思考を言葉にする練習

グレタトゥーンベリさんについて

グレタトゥンベリーさんを知っていますか?

 

彼女は十代にして環境問題に対する大人たちの生半可な取り組みを激しく批判している

スウェーデンの活動家です。

 

こんにち、欧米の様々な地域でグレタさんを筆頭とした多くの若者が環境問題に対する

デモ活動を行っており、これほど大規模な活動は前例にないと話題になっています。

 

そのグレタさんですが、2018年8月に15歳の時に、スウェーデン語で「気候のための学校ストライキ」という看板を掲げて、より強い気候変動対策スウェーデン議会の外で呼びかけるという学生時代を過ごし始めたことで知られるようになりました。

彼女は一週間に一日、学校を欠席してデモ活動を行っていたようです。

 

これらを踏まえて、私の見解を書きます。

 

>彼女の行動力は日本人には難しい

おそらく日本では、このような活動が行われることはないと思います。

それはおそらくスウェーデンと日本の文化的背景の違いにあります。

日本ではほとんどの人々が学校、若しくは会社を休むことに大きな罪悪感があります。

いかに悪目立ちしないかが日本人にとっては非常に重要なことだと思われます。

 

>教育の差

スウェーデンをはじめとするヨーロッパ諸国は非常に高い教育水準を保っています。

批判的思考、コミュニケーション能力、英語の習得能力、プログラミングの導入など

古い慣習や伝統を打破できる社会システムが構築されていることにより、

間違っている事は間違っていると言える国が多いと思います。
日本では保守的な考え方が絶対に壊れないため、勉強ができる人がいても、実際に社会問題に目を向けたり、大人に意見したりと言う事は基本的にタブーとされる文化が根強いため、多くの人が「考える」事自体を放棄してしまうと思います。

 

<批判点>

彼女のことを非難する大人もたくさんいますが、まず第一に、彼女が勇気の一歩を踏み出したことは事実であり、この素晴らしい行動に対して大いに敬意を評します。

 

<お金の現実>

プーチン大統領の意見に賛同したのでその一部を参照して書きます。

スウェーデンは確かに豊かな国でエコ先進国と言えるかもしれないですが、

必ずしも他の国がそうなれるわけではないですよね。

例えば、風力発電太陽光発電原子力、火力を代替にしようと思ったら、

一体どれほどのお金がかかるでしょうか?

アフリカやアジアの発展途上国でそれを検討しようすれば、ただでさえ明日生きていけるかわからないような人々がどんな思いをするでしょうか?

 

<利己的なパフォーマンス>

彼女は飛行機に乗らず船(ヨット)で大西洋を横断しましたが、

これはおそらく間違った行動です。なぜならヨットを作るのにどれほどのプラスチック製品を使うか計算ができていないからです。

これはパフォーマンスとしてはいいと思いますが、果たして本当に地球のためになったのでしょうか?飛行機に乗ることを全人類が拒否したら、その後飛行機に使われた部品等は無駄になり、焼却処分となるでしょう。その場合に発生する二酸化炭素はどうなるのでしょうか。また交通手段として全員がヨットで移動するとなったら、どれだけのプラスチックが製造、加工されることになるのでしょうか。

 

ヨットを作るためにどれだけの材料が別々の場所からトラックで運ばれてきたのだろう。このプロジェクトのカンファレンスのために、どれだけ多くの人が排気ガスを排出する交通機関でグレタさんのもとに集まったのでしょうか。

付き添いは飛行機で帰ったとか..

 

海を渡った後は何に乗って国連まできたのだろう?

オンラインのビデオ通話でも良かったのでは?

 

<単なる非難>

彼女は地球温暖化の事実とされる物を訴えていますが、具体的に何をしたらいいかをしっかりと述べるべきだと思います。非難するだけでは大人たちは動いてくれない。

 

<最後に>

彼女は間違いなく事実を述べています。

地球は誰のものなんでしょうか。

なんのためにエコを選ぶのか。

地球のことを思ってより良い行動をするべきなら、それはなんのためなのか。

それをよく考えてください。

 

 

相対的な日本の見方

まず感想を書くのに先立てて、なぜ欧米に注目するか記しておきたい。

(本の感想は他の記事に書く)

 

私は総括的に日本嫌いだからと言う理由で日本の本を読まないわけではない。

あなたが私のことを売国奴とか左翼などと言うのは勝手だが、

言うならば今から書く文を考慮した上で言ってほしい。

 

まず、多くの人は日本の中のことに囚われすぎだと思う。

日本は地球上にある土地の中の何割を占めているだろうか。

おそらく一割にも満たない。にも関わらず、

日本という一つの国のことしか考えていない人がいる。

自分が生まれ育った国だからといって、その国のことしか考えないのは、

相対的に物事が見れていないということだと思う。

常に中立的な視点で考えるときは、理性を曇らせるような感情的な側面や、

自己のバックグラウンドを一切排除することが必要だ。

地球儀で世界を見たとき、日本がほんの一部のピースであることを理解することが、

自国を客観視、俯瞰して見ることに何より必須ということだ。

 

 

底、疲れ、悩み

いろいろな人に嫌われ、無視され、軽蔑され、傷ついた気がする。

たとえ自分に向けてじゃなくても自分に言われて、追い込まれている気分。

今まで体験したことのないストレスとそれに伴う体調の崩れにも頭を抱えている。

毎日嫌な気持ちで目を覚ますと、体中が寒く、

腰は崩れるほどの重みを受けているかのように痛い。

準備はいつもぎりぎりでバスに遅れることもある。

駅につくと、ドクターマーチンを履いた

二十代くらいの女性が同じ頃にホームに着く。

言いたいことは、毎日同じことを繰り返しているということだ。

いつも同じようなことを考え、同じ電車に乗り、

同じカフェに行き、同じ授業を受けて、同じような会話を交わして

同じ景色を眺めながら家に戻る。

これは環境を変えれば自然とアウトプットが変わるという話があるが、

これは本当なのだろうか。

新しい事業に取り組んだり、新しい場所に行ったりもするが

頭の中はいつも悲観的で、変化なんて言葉は浮かんでもこない。

最近は本を読む気にもならないし、ブログを書く気にもならなかった。

それでも、世界は変わり続けているし、多数は幸せそうに生きている。

自分の頭の中が、混沌しているし、一定以上深く考えようとすると

リミッターのようなものがそれを許さない。

無理に越えようとすると脳が異常に疲れる。

脳は変化を好まないと聞いたが、そのせいなのだろうか。

あえていつもと真逆の生活をしたらどうなるのだろうか。

いつもと違うなと、思えるだろうか。

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映画 -ジョーカー- あなたが知っておくべき5つのこと

ジョーカー

 

それは、この世界が生んだ狂気そのものである。

今回は、彼について語る上でもっとも大切なことについて触れていきたい。

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正義か。悪か。

 

1.機能しない政府

 

彼はゴッサム・シティという非常に治安の悪い街で生まれ育ったわけだが、

その街では不景気のため多くの失業者を抱えている。

彼は道化師として最低限の収入を得ていたが、

失態を犯してしまい職を失うことになる。

 

また、彼の街では貧困層と裕福層の格差が激しく、

行政が予算を治安維持に充てるために彼の通っていたカウンセラーや社会保障

(後ほど話すが、彼は精神病を患っていた)予算が打ち切られてしまった。

 

彼は話す人も、治療する薬も、どちらの治療も途絶えたのだ。

 

これらはすべて、ジョーカーというアイデンティティを確立するのに

ひと役買った要因の一部であることに間違いないだろう。

 

これは現代社会でも実際に起きている問題で、

経済格差が激しい国の一位にはチリ、三位にはアメリカなどが挙げられる。

 

2.ネグレクトと幼児虐待

 

悲惨なことに、彼は小さい頃に母親からネグレクト(育児放棄虐待を受けていた。

また彼の母親は精神異常者で、他にも様々な事実が明らかになるが、

それらの要因から彼は精神に大きな闇を負って過ごす事となる。

 

日本でも虐待のニュースをよく目にするのではないだろうか。

虐待やネグレクトは子供の精神を狂わせたり、

後に大きなトラウマを抱えさせる大きな原因のひとつである。

 

3.マイノリティの生きづらさ

 

上記で述べた通り、彼は精神病患っていたのだが、

統計的に見ると精神障害者というのは健全者に比べて圧倒的に少ない。

これは先程の話につながるのだが、社会保障制度に限らず

国の制度は基本的に多数決で判断するので

彼のようなマイノリティ(少数派)にとっては当然ながら生きづらい世界になる。

 

今世界で問題になっているのは、主にLGBTQなどが例として挙げられる。

電通の発表によると、日本人のLGBTの割合は、「左利き」の割合とほぼ同じくらい。

 

4.人々の賞賛と裏切り

 

彼は人々をジョークで笑わせたいと思っていたが、

理由もなしに集団的な暴力やいたずらなどで、人に欺かれることが多かった。

そのため彼は人を信じることが難しくなり、

残酷な方法で気持ちの埋め合わせをするようになる。

しかし彼は裕福層を殺すことによって一部の市民から称賛を得て、

それが引き金となり大きなムーブメントが街全体に広がる。

 

ここで彼は初めて人から認められることの嬉しさを覚えたのではないだろうか。
彼は精神を病んでいたことから、承認欲求が平均よりも著しく高かった可能性がある。

そのため人々から称賛されることが嬉しくなったのは一理あるだろう。

 

極悪非道に見える彼の人生の裏には、実は過去に人から何度も裏切られてきたという

傷跡が痛々しく刻まれているのだった。

 

5.あなたの周りにもジョーカーはいるかも知れない

 

これは決してありえないフィクションストーリーなどではなく、

上記に挙げた点の殆どが進行形で今も現実に起こっていることである。

つまりはいつ、どのような形でジョーカーのような人間が誕生しても

おかしくないということ。

 

そしてそこで誕生した「ジョーカー」は、我々の生きている社会が生んだ副産物、

いや、我々がしてきたことが 鏡 のように映し出した人間となる。

 

あなたは、ジョーカーを罪人扱いするだろうか。

それとも自分や社会を見つめるのだろうか。

 

是非、まだご覧になっていない方は映画館に足を運んでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

集合的無意識の根底にあるかもしれないもの

なぜ私は、荒廃した建物を見て

 

素晴らしいと思うのだろうか。

 

なぜ私は、色褪せた灰色の空気と建物が混在した

 

情景を見てそれを写真に納めたくなるのか。

 

好きな風景はあるが、何故好きなのか

 

考えたことがあるだろうか。

 

私を含め幾らかの人々は、廃墟や廃れた雰囲気が

 

興味をそそる事があると思う。

 

私たちは幸せになる事を望みながら、

 

自ら不幸な側面を覗いているのかもしれない。

 

それともイデア論を前提に考えるか。

 

イデア界は完璧な世界であり、

 

そこに不完全なものなど

 

存在はしない。

 

人間は元を辿れば楽園にいたアダムとイヴが

 

禁断の果実を食したことにより

 

楽園を追放されたところから始まった。

 

この時点で人間は不完全なものであるとするならば、

 

人間は元々はイデア界にいた事になるが

 

禁断の果実を食べようとしたことから

 

カリギュラ心理がはたらいている為楽園としては

 

不完全なものと解釈できる。

 

つまり、

 

人間は元々不完全であった為、イデア界に存在する

 

価値を持ち合わせていない。

 

プラトンの教えによると人間は、イデア界を

 

想起することで美を追及するとしたが

 

イデア界に人間がいた頃にはもう既に

 

人間はイデア界から追放すべきという方針のもと、

 

イデア界にある人間の世界は破壊されてしまい

 

人間はそれを想起して荒廃した世界を美しいと

 

思っているというのかもしれないという

 

考えが私の中にある。

 

もう一つの考えは、デジャヴに似ているかもしれない。

 

アインシュタインによると

 

第三次世界大戦はどうなるか分からないが、

 

第四次世界大戦は石と棍棒で戦うことになると言った。

 

これは第三次で人間が核戦争かもしくはそれ以上の

 

殺人兵器を使用したことにより、地球は著しく退化し、

 

殆んどの人類が滅亡し、これまで築き上げてきた

 

高度な文明が滅んだことによる

 

いわゆる同じことのループである。

 

この世界はこのループを一定の周期で迎えており、

 

その証拠としてエジプトのピラミッドに関わる

 

多くの謎や、核兵器でないと到底、

 

破壊できないだろうする街全体の破壊などが挙げられる

 

今の私達はまるで夢で見た光景を現実で見たかのように

 

戦争により荒廃した建物跡を思い、

 

そこにノスタルジックな気持ちを

 

抱くのではないだろうか。

地球が終わる日

もし明日、地球が終わるとしても、

貴方は会社に行くだろうか。

もし明日、地球が終わるとしても、

貴方はスマートフォンを片手に道を歩くだろうか。

この世界は永遠には続かない。

宇宙規模で言ってしまえば、

もう潮時かもしれない。

地球の終わりというのは人間にとって、

一番最高の日であり、最悪の日かもしれない。

人間が死ぬ直前に身体から分泌される

気持ちが良くなる物質が、

死を思うだけで分泌されているような気がする。

スピリチュアル的な解釈をすると、

身体とは魂を宿す為の一時的な入れ物であり

魂、意識が別次元へ転移する際に

発生する物質なのではないかとも考える

地球が終わる瞬間、人間は悟りを開くと思う。

死ぬのが嫌なのは、命が惜しいからだとすると

地球自体が無くなった場合、

惜しむものもなくなるだろう。

するとそこで、地球全体が幸せになる気がするのです。

明日死ぬかのように生きてみようと思った。

窮屈

最近、思う。

何かに束縛されているような気持ちになるのだ。

多数の人々は、今日何をするかという事は

他人もしくは企業や学校などに委ねられている、

と思い込んでいる。

また自分の周辺環境(人、場所)も、

自分が作り出していると気づく事は難しい。

見えない圧力、

そんなものも私達の視点を狭くしていると考える。

国や教育もその一例である。

私達をコントロールして、この社会を築いてきた

政府や国は、当然ながら

コントロールしていることが公になる事を拒む。

もし仮にその事実に気付いてしまった人々が増えれば

事実上の無政府国家になり、

国が築き上げてきた経済システムや政治方針は

即座に崩れ落ちる事が予測できる。

以上の理由から(他にも多くの理由があるが)、

多くの人々は、蒸し風呂のような暑さと

溢れんばかりの人がぎゅうぎゅうに詰められた

10個ほどの箱の中に

毎日、自らの意思で足を踏み入れてまでして

生活しているのであろうか。

それに気づいた人のみが、

この社会を俯瞰する地位となり、

人を使い回しの道具のように扱い、と

同じことの繰り返しなのである。

だからこその社会である事は重々承知しているが。。