you are photography’s blog

思考を言葉にする練習

集合的無意識の根底にあるかもしれないもの

なぜ私は、荒廃した建物を見て

 

素晴らしいと思うのだろうか。

 

なぜ私は、色褪せた灰色の空気と建物が混在した

 

情景を見てそれを写真に納めたくなるのか。

 

好きな風景はあるが、何故好きなのか

 

考えたことがあるだろうか。

 

私を含め幾らかの人々は、廃墟や廃れた雰囲気が

 

興味をそそる事があると思う。

 

私たちは幸せになる事を望みながら、

 

自ら不幸な側面を覗いているのかもしれない。

 

それともイデア論を前提に考えるか。

 

イデア界は完璧な世界であり、

 

そこに不完全なものなど

 

存在はしない。

 

人間は元を辿れば楽園にいたアダムとイヴが

 

禁断の果実を食したことにより

 

楽園を追放されたところから始まった。

 

この時点で人間は不完全なものであるとするならば、

 

人間は元々はイデア界にいた事になるが

 

禁断の果実を食べようとしたことから

 

カリギュラ心理がはたらいている為楽園としては

 

不完全なものと解釈できる。

 

つまり、

 

人間は元々不完全であった為、イデア界に存在する

 

価値を持ち合わせていない。

 

プラトンの教えによると人間は、イデア界を

 

想起することで美を追及するとしたが

 

イデア界に人間がいた頃にはもう既に

 

人間はイデア界から追放すべきという方針のもと、

 

イデア界にある人間の世界は破壊されてしまい

 

人間はそれを想起して荒廃した世界を美しいと

 

思っているというのかもしれないという

 

考えが私の中にある。

 

もう一つの考えは、デジャヴに似ているかもしれない。

 

アインシュタインによると

 

第三次世界大戦はどうなるか分からないが、

 

第四次世界大戦は石と棍棒で戦うことになると言った。

 

これは第三次で人間が核戦争かもしくはそれ以上の

 

殺人兵器を使用したことにより、地球は著しく退化し、

 

殆んどの人類が滅亡し、これまで築き上げてきた

 

高度な文明が滅んだことによる

 

いわゆる同じことのループである。

 

この世界はこのループを一定の周期で迎えており、

 

その証拠としてエジプトのピラミッドに関わる

 

多くの謎や、核兵器でないと到底、

 

破壊できないだろうする街全体の破壊などが挙げられる

 

今の私達はまるで夢で見た光景を現実で見たかのように

 

戦争により荒廃した建物跡を思い、

 

そこにノスタルジックな気持ちを

 

抱くのではないだろうか。