窮屈
最近、思う。
何かに束縛されているような気持ちになるのだ。
多数の人々は、今日何をするかという事は
他人もしくは企業や学校などに委ねられている、
と思い込んでいる。
また自分の周辺環境(人、場所)も、
自分が作り出していると気づく事は難しい。
見えない圧力、
そんなものも私達の視点を狭くしていると考える。
国や教育もその一例である。
私達をコントロールして、この社会を築いてきた
政府や国は、当然ながら
コントロールしていることが公になる事を拒む。
もし仮にその事実に気付いてしまった人々が増えれば
事実上の無政府国家になり、
国が築き上げてきた経済システムや政治方針は
即座に崩れ落ちる事が予測できる。
以上の理由から(他にも多くの理由があるが)、
多くの人々は、蒸し風呂のような暑さと
溢れんばかりの人がぎゅうぎゅうに詰められた
10個ほどの箱の中に
毎日、自らの意思で足を踏み入れてまでして
生活しているのであろうか。
それに気づいた人のみが、
この社会を俯瞰する地位となり、
人を使い回しの道具のように扱い、と
同じことの繰り返しなのである。
だからこその社会である事は重々承知しているが。。